2018年2月1日木曜日

「へ」江戸川柳色は匂へ & いろはカルタ随想

  江戸川柳 色は匂へ 「へ」 屁  

  屁をひっておかしくもない一人者

  自由律俳句の代表人物としてよく引用される二人の俳句を連想する。

  咳をしても一人           尾崎放哉

  さてどちらへゆこうかかぜがふく   種田山頭火

 尾崎放哉の原点は江戸川柳にあったのか。「屁」を「咳」にしたところが、
 川柳から俳句へと変化させて、しかも孤独感をみなぎらせた。

  江戸時代は銭湯が大流行した。

  屁をひっておやぼうさんがと乳母とぼけ

  銭湯での人間関係が想像でき、江戸人の人情が彷彿と偲ばれる。


  「へ」の2 臍(へそ)

  かたいやつ臍をほしがる門から出   意志が固いのかいくじがないのか

  臍を欲しがる門=雷門のこと 雷門の裏門は、吉原に通じる

  よい思案雷門を二度通り       よくよく考えてやっぱり

  恋しさは親父の臑(すね)に母の臍  かじれるものはかじるがいい

 すねをかじり、臍くりをあてにして生きた若旦那か。結構いい親父さんになっている
 もんだよ。


いろはカルタ 「へ」 江戸と上方

屁をひって尻つぼめる(江戸)

 『あやまちをしでかしたあとで、ごまかそうとするたとえ。』

つい先日、小学校の先生をしている同僚から聞いた話だが、近年は、いたずらをしても現場を抑えない限り、絶対に自分から名乗り出ないということである。

 現場を抑えられて、注意をされていても、何や彼やと言い訳ばかりして、謝ることを知らないということであった。

 「あやまる」ことを忘れた日本人、罪を犯したら、素直に謝り、罰を受ける以外に手はないのだということを指導しなくなった日本人を見ることが多くなったような気がする。
 すべては大人の責任である。
その一因として、学校教育の中から、政治教育と宗教教育が締め出されたことが考えられる。政治は正義の追求であり、宗教は良心の喚起である。


下手の長談義(上方)
 
〖話べたのくせに長々と話をすること。〗
  
 ズバリと言えば単純明快なのに、くどくどと回りくどく意味不明の発言をしている時は、何か裏があると思って間違いない。

真実を語ることができないときのもたもたとした長談義は聞いていてすぐにわかる。その昔、「あーうー」ばかりでもたもたと発言していた内閣総理大臣はとても実直で真面目な人のようであった。嘘をつけないために「あーうー」を繰り返して突然亡くなってしまった。
 日常での会話はとてもユウモアがあり楽しい会話のできる人であったと聞いている。
 
下手の長談義をする人はまだ善い方で、「立て板に水」のごとく平気でうそをつく人もいた。
 

「下手の長談義」も「立て板に水」も要注意である。話の裏を読み取らなければならない。そのような話し方をする人は大概、企業や国家や組織のリーダーの中にいる。

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