2018年1月11日木曜日

「ほ」江戸川柳色は匂へ & いろはカルタ随想


江戸川柳 色は匂へ 「ほ」 惚れる 

ほれたとは女のやぶれかぶれなり

 貝原益軒の女大学が幅を利かせていた時代に、女の美徳として女から「惚れた」というのはよほどの覚悟がいる。
 現代でも女性の方から告白するときは、男性の方にそれなりの態度があってのことであり、これで男性が逃げていけば大変なことになる。男は覚悟しなければならない。「やぶれかぶれ」の生活がもうそこまでせまっている。怖いことである。



棒の手を見せるが客へちそうなり   見事な麺棒さばき

 家の親父さんは手打ちうどんや手打ちそばはプロ並みであった。地方公務員にしておくのはもったいない腕を持っていたが腕を生かさないままに終わった。それもいいか。

そばを打つ音もちそうの数に入り   音がちそうになるのは少ない。

棒の中めんぼくもなく酔は醒め    辻番や自身番の棒ではね。

棒ほどの事針ほどに母かばひ     棒大針小の母心、いいね。



いろはカルタ 「ほ」 江戸と上方

骨折り損のくたびれ儲け(江戸)

『むだに骨をおるばかりで、まったく効果のないこと。』

テレビのニュースで、日本人の傾向を表す思考パターンをよく見かける。事故や事件が起きると、責任者が「二度とこのようなことが起こらないように万全を尽くして・・・」と、決まり文句を発表する。

日本人は、事故や事件が起こってから、その原因を本格的に追及していく姿勢を示し、とどのつまりは関係者の中の一人に責任を取らせて、それでけりを付けようとする。
このような事例は、私たちの身辺で日常茶飯に経験することである。教育現場においてもそのような事例が多い。危険な遊具や不健全な遊びの問題がそれである。
吹き矢、ゴム銃など危険な遊具が、店から売り出され、児童・生徒の聞に流行し、行き渡って、事故が起きてから、危険遊具として禁止の通達が流れてくる。


仏の顔も三度 (上方)

〖仏の顔も三度撫でると腹をたてる。いかに無邪気の人、慈悲深い人でも、たびたびの侮辱には憤ることがある。〗

 「それを言っちゃあおしまいよ」と言いながら、同じ失敗を何度でも繰り返す寅さんは愛すべき男である。
 しかし、身内にこのような男がいると大変だろうなあと思う。寅さんに近い人物はどこの身内の中にも一人ぐらいはいるものだ。
 孔子は、「それ恕(じょ)か。己の欲せざるところは人に施すことなかれ」と弟子たちに言っている。自分にしてほしくないことを人にしてはいけない。この言葉は生活していくうえでの一つの指針になる。
 「それを言っちゃあおしまいよ」「それをやっちゃあおしまいよ」とつぶやき、「己の欲せざるところは人に施すことなかれ」と内省しながら一日を過ごしている。今、安定している。





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