2017年12月18日月曜日

「ろ」江戸川柳色は匂へ & いろはカルタ随想 

  江戸川柳色は匂へ 「ろ」 論語とニキビ 

 足音がすると論語の下へ入れ



今も昔も同じ情景が目に浮かぶ。江戸の学習の基本は論語である。人の生き方を学ぶにはもってこいの教科書である。現代にも十分に通用する内容で満ちている。

学習を始めたころは素直に勉強に取り組んでいただろうが、年月が過ぎてニキビの目立つ年ごろになると論語の勉強をしながら、論語とは正反対のことに関心を持ち、走ってしまう。

足音を聞きつけて急いで、論語本の下によからぬ本を隠してしまう。このような態度を取りながらも親の意見を聞く間は可愛いものである。

青年期を過ぎて家庭を持てばソレなりに確りと生きていくようになる。



  いろはカルタ随想 「ろ


  論より証拠(江戸)

 『物事を明らかにするには、議論するよりも証拠を示したほうが早い。』

 現代人は、「論も証拠もくそくらえ」と生きていく人間が目立つようになった。「記憶にございません」と、徹底的に白を切る。そして、いよいよ証拠を突きつけられると、「それがなんじゃ」と開き直る。

 ずっと以前、万引きで補導された女子中学生のバックの中からタバコやコンドームが出てきたが、「私にはなんら関わりがありません。ただ持っていただけです。」と言い通したそうである。

 まさに、汚職政治家や汚職官僚と非行少年の思考パターンはおなじである。

 論より証拠と真剣に議論していた過去の人たちが懐かしく、純粋に思えてならない。


   論語読みの論語知らず(上方)

 〖書物を読んで、言葉の上では理解するが少しもこれを実行できないこと〗

今は、「論語読まずの論語知らず」の時代になった。

社会の指導的立場にある人でさえ論語はもより道徳や人生観、哲学についての関心が薄れて、政治、経済といった実利のほうに目を向けて富や権力を志向する力が強い。

 政治、経済の根底に確かな道徳や人生観が貫かれていなければならないのに、それが欠落しているところに問題がある。

 論語の思想は「人間は、自分の努力によって向上しなければならない。人間は学問・教養を積み重ねることによって人格を磨き上げるのを怠ってはいけない。」ということになる。

 この理念が見失われた社会のありようがまさに「論語読みの論語知らず」の現代社会の論より証拠である。
 
「論語読まずの論語知らず」から、せめて「論語読みの論語知らず」にバージョンアップして、生き方の根本に立ち返らなければならない。

 




 

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